【横断性脊髄炎の話4】診療科のたらい回し ようやくたどり着いた病院で診断書をもらったが…

【横断性脊髄炎の話4】診療科のたらい回し ようやくたどり着いた病院で診断書をもらったが…

横断性脊髄炎にかかった筆者のブログ連載4回目です。

前回、総合病院に行き、レントゲンとCTを撮ったにも関わらず、何も以上が見つからずに「今日はお帰りください」という無慈悲な言葉を投げかけられてしまいました。

今回はその続きで、家に帰りどうしたか、次の一手について書いていきます。

珍しい病気なので、あまり需要がないかなと思ったものの始まった「脊髄炎ブログ」連載ですが、たまにページをご覧いただいている方がいらっしゃる、且つ1から順に読んでくださっている方もいらっしゃるようなので、多少の参考になるかと思い、引きづづき書き綴っていこうと思います。

あくまで個人の体験談・治療記なのでその点はご了承ください。

前回の闘病記はこちら↓

【横断性脊髄炎の話3】胃カメラにCT 人生初の検査を乗り越え、判明した検査結果はとてつもなく肩透かしだった

総合病院から家に帰り家族からLINE

無慈悲にも「何もできないので今日はお帰りください」と言われてしまい、上司の車で会社の寮まで帰った私。

車内では「明日もしんどかったら休んでいいからな」と言われて、「行けるレベルどころか、明日も生きていられるか微妙だよ」と思ったものの、心にその言葉は押し込めました。

家につき、何日もまともな食事をとっていなかったものの、食欲は一切なく、ポカリスエットだけ少し飲み、ベッドに体を横たえる。

そうすると親からLINEが来ていることに気づきました。

確か時間は14時くらいだったと記憶しています。

ちょうど体調が悪くなった頃にもLINEが来ていて「元気している?」と言う内容に「ちょっと体調崩してる」と返していたので、心配になって追加で連絡したとのこと(後日談)

「胃のあたりが痛くて、ご飯が食べれてなくて今日総合病院で検査してもわからなかった」と軽い気持ちで送ったら「え、大丈夫なの?」ときた(そりゃそうだ)

「とりあえず会社休んでるー」と軽い感じで返信。

大人なので強がってました。

しかも実家と会社は相当遠いので、心配かけたくないなと言う気持ちでした。

夜まで苦しんでいると、親から再度LINEが来る。

「今新幹線に乗りました」

「…!???」

行動力すごない??

今思うとこのタイミングで来てくれてなかったらどうなっていたんだろうとも思います。

この期に及んでも「やばい部屋が汚すぎる」と思い、少しだけ片付けて、親の到着を待ちました。

親到着、そして唖然

親はスマホを使っていたものの、Google Mapすら使えないような人なので、私の寮まで辿り着けるのか半信半疑でした。

とはいえ、駅からは単純の経路なので、無事に到着。

着いた親が発した一言。

「あんたの部屋狭いね…」(ほっとけ)

痛みと気持ち悪さとだるさMAXだったものの、この唖然とした言葉は忘れられません。

ただ、この時の言葉は想像以上に弱っている私を見て、絞り出したため、変な着眼点だったとのことです。

親が到着してから、いつからこんな状態なのか、どういう検査をしたのか、現状はどうなのか、会社はどうしてるのか等色々尋問を受けて、その後に上司に連絡。

親が上司と話す。

その後また私に代わり、翌日神経内科に行こうと連絡。

私は神経内科という診療科を初めて聞いて、手足の痺れがあるから神経ということなのか?というレベルの理解度で「いきます」と答えて、その日は休むことに。

親はベッドの下のフローリングで寝ることになり、老体に鞭打たせて本当に申し訳なくなりました。

次の日に親も一緒に、上司が提案してくれた神経内科に行くことになりました。

そして、着いた病院で私は驚愕の事実を知ることになります。

神経内科を受診するはずが…

上司が神経内科の受診を提案してくれて、再度上司の車で病院に送ってもらいました。

二日連続でありがたいやら、申し訳ないやら、親も乗っているし、なんともいえない気持ちの中、病院へ向かう車。

この時、しんどさのピークくらいの状態で、呼吸も深く吸えないし、相変わらずみぞおちあたりが痛むし、正直まっすぐ座ってられない状態でした。

そんな中、20分ほど車を走らせて病院に到着。

入り口の記憶もないのですが、やたら長い問診票を書かされました。

仕事内容や、最近嬉しかったこと、悲しかったこと等、普通の内科などで書かされるような内容ではなく、「なんだこれ?」と思いながら書き進めていると、その問診票には「〇〇心療内科」と書かれていました。

「あれ?私は神経内科と聞いてきたが心療内科って書いてあるぞ??」

そうです、上司は神経内科と心療内科が一緒のものだと思っていたとのこと。

私自身、この時点で神経内科というものがどんな疾患を扱うのか知らず、また調べる気力もなく、仕方なく、めちゃくちゃ体がおかしい状態で20分ものカウンセリングに挑むハメになりました。

ついに病名がついた?

とにかく手足がちぎれそうに痛く、みぞおちが痛く、吐き気もすごかったのですが、20分ほどのカウンセリングを受けさせられました。

ただ、私は感じていました。

上司とお医者さんの、「精神疾患でひとまず片付けよう」という思惑を。

結局お医者さんがつけてくれた病名は「適応障害」

私は「ポカーン」としてしまいました。

こんなに全身がおかしいのに?心のせいで?

精神が病むとこんな状態になるの?だって私は働きたいんだよ?

よく心に病気を抱えると涙が溢れるとか聞きますが、私は一切そういうことはなく、今回の診断で完全に周りから原因不明の症状を追及することを放棄されてしまった感覚に陥り、それが一番ショックでした。

これを読んでいる方なら、私が後々に「横断性脊髄炎」という診断を受けることがわかっていますが、当時何もわからない状態で「適応障害なので二週間くらい休めば少し良くなりますよ」という言葉をかけられた私は、そのあまりの無責任さに呆れて、悲しくなりました。

また、今はそんなことはないのですが、私の中で精神疾患になってしまった自分をどこか恥じる気持ちもありました。

この後の話のネタバレ(?)にもなるのですが、治療の中でかなりネガティブになり精神科の先生にもお世話になり、その存在のありがたさは痛感しています。

話は戻り、「適応障害」という診断が下されたおかげで、上司としてはこれで正当に休ませる書類をゲットできるので「ひとまずOK」ということにもなったようです。

そもそも心療内科と神経内科の違いもわからずに送り込み、無駄な時間を過ごすハメになった上司に対し不信感を抱き、これまで色々と面倒を見てくれたことは感謝しつつ、関わりたくない人だなと思いました(ここから2度と会うこともなかったのですが…)

そんなこんなではありますが、二週間の休みを得た私は、ボロボロの身体を携えて新幹線で実家に帰宅することになります。

新幹線移動もまた地獄でした…。

(続く)

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